戦国武将データファイル
戦国武将の 「像」 一覧
●最上義光 … 山形 霞城公園
●伊達政宗 … 仙台 青葉城跡
●上杉謙信 … 直江津 春日山城跡
●武田信玄 … 山梨 甲府駅前
●真田幸村 … 長野 上田駅前
●信玄vs謙信 … 川中島古戦場跡
●藤堂高虎 … 津 お城公園
●加藤清正 … 名古屋 妙行寺
●織田信長 … 清洲城
●柴田勝家 … 北ノ庄城
●石田三成 … 長浜 石田家旧宅跡
●羽柴秀吉 … 長浜 長浜城、京都 豊国神社、
名古屋 常泉寺
忠臣蔵でおなじみの山鹿流の陣太鼓とは?
やまが‐りゅう ‥リウ【山鹿流】
兵学の一派。北条流を学んだ山鹿素行が独立してからのもの。「―の陣太鼓」
やまが‐そこう ‥カウ【山鹿素行】
江戸前期の儒学者・兵学者。古学の開祖。会津に生れ、江戸に育ち、儒学を林
羅山に、兵学を北条氏長らに学び、程朱の理気心性を疑い「聖教要録」を著わ
してこれを排し、幕府の怒りを受けて赤穂(あこう)に配流。後、ゆるされて江
戸に帰る。著「武教要録」「配所残筆」「山鹿語類」「中朝事実」「武家事紀
」など。(1622―1685)
ほうじょう‐りゅう ‥デウリウ【北条流】
寛永頃、甲州流出身の北条安房守氏長の創めた軍学の流儀。
ほうじょう‐うじなが ‥デウウヂ‥【北条氏長】
江戸幕府の旗本。戦国大名北条氏の出身。軍学を小幡景憲に学ぶ。三代将軍家
光の諮問を受け、オランダ流攻城法や諸大名・旗本の軍団編成について調査・
上申した。安房守。(1609―1670)
こうしゅう‐りゅう カフシウリウ【甲州流】
小幡勘兵衛景憲(かげのり)によって説かれた軍学の一派。江戸初期に起った。
武田信玄・山本勘助の兵法を祖述したものという。武田流。信玄流。
おばた‐かげのり ヲ‥【小幡景憲】
江戸前期の軍学者。通称は勘兵衛。初め武田氏、のち徳川秀忠に仕えた。兵法
の奥義を極め、甲州流軍学の祖と称される。山鹿素行の師。編著「甲陽軍鑑」
。(1572―1663)
- あ
- あけち‐みつはる【明智光春】
安土時代の武将。光秀の従弟。左馬介と称。本能寺の変に先鋒。ついで安
土に敗れて大津から坂本まで馬上湖水を渡って城に入るも、包囲され自刃。
(1537―1582)
- あけち‐みつひで【明智光秀】
安土時代の武将。織田信長に仕える。日向守。惟任の称号を与えられる。
丹波亀山城主。信長を本能寺に攻めて自殺させたが、僅か一三日で豊臣秀吉に
山崎に破られ、小栗栖(おぐるす)で農民に殺される。(1528―1582)
- あさい‐ながまさ【浅井長政】
戦国時代の武将。近江国小谷(おたに)の城主。朝倉義景に味方して信長・
家康と姉川に戦って敗れ、のち再び信長に攻められて自刃。信長の妹お市の方
を妻とし、淀君の父。(1545―1573)
- あさくら‐よしかげ【朝倉義景】
戦国時代の武将。越前の大名。織田信長に攻められて自刃。(1533―1573)
- あさの‐ながまさ【浅野長政】
安土桃山時代の武将。尾張の人。初め織田信長に仕え、後、豊臣秀吉の五
奉行の首座、文禄の役に軍監。後、関ヶ原の戦に徳川秀忠に従い西上。(1547―
1611)
- あしかが‐よしあき【足利義昭】
室町幕府第一五代将軍。義晴の子。織田信長に擁立されて将軍となったが、
後、不和を生じ、一五七三年(天正一)京都を追われる。諸国を流浪、豊臣秀
吉に保護され、大坂に没。(1537―1597)
- あしかが‐よしてる【足利義輝】
室町幕府第一三代将軍。義晴の子。初め義藤。一五四六年(天文一五)将軍。
松永久秀らに攻められ討死。(1536―1565)
- いい‐なおまさ【井伊直政】
徳川家康麾下の武将。直孝の父。長久手の戦、小田原征伐に勇名をはせ、
関ヶ原の戦に島津義弘と戦って負傷。近江佐和山(彦根市東郊)に移封。(1561―
1602)
- いしだ‐みつなり【石田三成】
安土桃山時代の武将。名は佐吉。治部少輔と称。近江の人。豊臣秀吉の寵
を得て五奉行の一人となり、特に経済政策の面に活躍した。佐和山一八万石の
城主。後、徳川家康を除こうとして、秀頼を擁して挙兵、関ヶ原に敗れて京都
で斬。(1560―1600)
- いまがわ‐よしもと【今川義元】
戦国時代の武将。氏親の子。駿河・遠江・三河地方に勢力を振う。織田信
長と戦って桶狭間(おけはざま)に討死。(1519―1560)
- うえすぎ‐かげかつ【上杉景勝】
安土桃山時代の武将。長尾政景の子。上杉謙信の養子。父の死後、豊臣秀吉に
仕え、五大老の一に列し、会津一二○万石に封。関ケ原の戦に石田三成と結ん
だため、米沢三○万石に移封。会津中納言。(1555―1623)
- うえすぎ‐けんしん【上杉謙信】
戦国時代の武将。越後を領し、加賀・能登に勢力を張る。長尾為景の子。
初名は景虎。上杉憲政から上杉氏を受領して春日山城に居る。のち輝虎と改め、
薙髪して不識庵謙信と号。義侠に富み、兵略に長じ、しばしば小田原北条氏
および武田信玄と戦った。(1530―1578)
- うきた‐ひでいえ【浮田秀家】
(「宇喜多」とも書く)安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の五大老の一人。岡
山の領主。関ヶ原の戦では大坂方の謀主だったが、敗れて八丈島に流された。
(1573―1655)
- えけい【恵瓊】
安土桃山時代の臨済宗の僧。安芸国安国寺の住職。織田・毛利の間を斡旋。豊
臣秀吉と毛利輝元との講和を成立。伊予六万石に封。関ヶ原の戦に石田三成に
属し、徳川方に捕えられ、京都で斬。安国寺恵瓊。(――1600)
- おおうち‐よしたか【大内義隆】
室町末期の武将。義興の長子。周防以下七ヵ国の守護。肥前・筑後・安芸
などに出兵したが、家臣陶晴賢(すえはるかた)の叛逆にあい長門深川大寧寺で
自刃。文学を好み、書を外国に求め、大内本を開板するなど、文学上の功績大。
(1507―1551)
- おおとも‐そうりん【大友宗麟】
戦国時代の武将。名は義鎮(よししげ)。豊後の府内におり九州の大半を併
呑、キリシタンに帰依して、府内を対外文化の中心とした。(1530―1587)
- おだ‐のぶただ【織田信忠】
安土桃山時代の武将。信長の長子。左近衛権中将。京都本能寺の変に、妙
覚寺に囲まれて自刃。(1557―1582)
- おだ‐のぶなが【織田信長】
戦国・安土時代の武将。信秀の次子。性剛勇果断、一五六○年(永禄三)今
川義元を桶狭間(おけはざま)に破って威名天下に鳴り、諸方を征略、七三年(天
正一)足利義昭を追って幕府を滅ぼす。安土城を築き、天下統一の歩を進めたが、
京都本能寺で明智光秀に襲われて自刃。(1534―1582)
- おだ‐のぶひで【織田信秀】
室町後期の武将。尾張守護代織田氏の奉行人。信長の父。今川義元・斎藤
氏と戦って武威を示した。(1510―1551)
- か
- かたぎり‐かつもと【片桐且元】
安土桃山時代の武将。近江の人。豊臣秀吉に仕え、市正(いちのかみ)と称。
賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍の一。秀吉の没後、秀頼の後見となる。大坂落城後
まもなく病没。(1556―1615)
- かとう‐きよまさ【加藤清正】
安土桃山時代の武将。尾張の人。豊臣秀吉の臣。通称虎之助と伝える。賤ヶ
岳七本槍の一。文禄・慶長の役で蔚山(うるさん)に勇名をはせ、関ヶ原の戦
では家康に味方し、肥後国を領した。戯曲に取材され、佐藤正清の名で表われ
る。(1562―1611)
- かとう‐よしあき【加藤嘉明】
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の臣。賤ヶ岳七本槍の一。文禄の役に水軍
の将。関ヶ原の戦に家康に応じ、伊予松山、ついで会津四○万石に封。(1563―1631)
- がもう‐うじさと【蒲生氏郷】
安土桃山時代の武将。近江の人。織田信長・豊臣秀吉に仕え、会津百万石
を領した。(1556―1595)
- くろだ‐よしたか【黒田孝高】
安土桃山時代の武将。初め小寺を姓とし、官兵衛と称。薙髪(ちはつ)して
如水と号。播磨の人。豊臣秀吉の中国経略および朝鮮出兵に加わり、豊前一二
万石を領。関ヶ原の戦には徳川家康にくみし福岡に封。和歌を好みまたキリス
ト教を信じシメオンと称。(1546―1604)
- きっかわ‐もとはる【吉川元春】
安土桃山時代の武将。毛利元就(もとなり)の次男。従兄吉川興経の養子。
弟小早川隆景とともに父及び兄隆元その子輝元をたすけて毛利家の基を固めた。
(1530―1586)
- ごとう‐またべえ【後藤又兵衛】
豊臣氏の武将。名は基次。初め黒田孝高・長政に仕えて、小熊城一万五千
石を領。のち浪人して南都にひそんだが、大坂冬の陣に豊臣方にくみして籠城、
佐竹義宣を破り、夏の陣に道明寺で伊達方と戦って戦死。(1570―1615)
- こにし‐ゆきなが【小西行長】
安土桃山時代の武将。堺の商人の子。豊臣氏の臣。摂津守。肥後半国二四
万石の領主。キリシタン教徒。文禄の役に先鋒。石田三成にくみして徳川家康
と関ヶ原に戦い、敗れて刑死。(――1600)
- こばやかわ‐たかかげ【小早川隆景】
安土桃山時代の武将。毛利元就の第三子。安芸沼田荘の小早川家を継ぐ。
輝元を補佐し、また、文禄の役に碧蹄館で功をたて、筑前・筑後・肥前などを
領。(1533―1597)
- さ
- さいとう‐どうさん【斎藤道三】
室町末期の武将。名は秀竜。もと山城の油商人で、美濃に往来し、守護土
岐氏にとり入ったが、天文年間土岐氏を逐って美濃国を領し、織田信秀と結ぶ。
子義竜と戦って敗死。(1494―1556)
- さかい‐ただつぐ【酒井忠次】
安土桃山時代の武将。徳川氏創業の臣。四天王の一。妻は家康の叔母。家
康の幼時よりこれを補佐、三方ヶ原・長篠・小牧の戦に功を立てた。(1527―
1596)
- ささき‐がんりゅう【佐々木巌流】
江戸初期の剣客。通称、小次郎。安芸(あき)の毛利氏の臣。燕返しの剣法
を案出。船島(巌流島)で、宮本武蔵と闘って死ぬ。(――1612)
- さなだ‐まさゆき【真田昌幸】
安土桃山時代の武将。信濃上田城主。武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康に歴
仕。関ヶ原の戦に西軍にくみし、居城に秀忠の軍を阻止。戦後、所領を失って
高野山麓の九度山に蟄居(ちつきよ)。(1547―1611)
- さなだ‐ゆきむら【真田幸村】
安土桃山時代の武将。昌幸の次子。関ヶ原の戦に父と共に豊臣方に属して
上田城に拠ったが、戦後、父と共に九度山に退去。大坂城に入って冬の陣に徳
川氏の軍を悩まし、夏の陣に戦死。(1567―1615)
- しばた‐かついえ【柴田勝家】
安土桃山時代の武将。修理亮と称。尾張の人。織田信長に仕えて越前に封
ぜられ、信長の没後、信孝と謀って豊臣秀吉を除こうとして兵を挙げたが賤ヶ
岳の戦に敗れ、越前北ノ荘(今の福井市)に自刃。(1522―1583)
- しまづ‐よしひさ【島津義久】
安土桃山時代の武将。貴久(たかひさ)の子。義弘の兄。筑前・筑後・肥前・
豊前を定めたが、一五八七年(天正一五)秀吉に降り、改めて薩摩に封ぜられ
た。(1533―1611)
- しまづ‐よしひろ【島津義弘】
安土桃山時代の武将。兄義久と共に九州を略定したが、豊臣秀吉に降り、
大隅に封ぜられ、文禄・慶長の役に殊功を建てた。関ヶ原の戦に石田三成にく
みして敗れ帰り、兄に因って降を請い、剃髪して惟新と号した。(1535―1619)
- しみず‐むねはる【清水宗治】
戦国時代の武将。備中高松城主。羽柴秀吉の水攻めにあって自刃。(1537―
1582)
- すうでん【崇伝】
江戸初期、臨済宗の学僧。京都の人。字は以心。南禅寺住持として金地院にあ
り、後に幕府に用いられて僧録司となり、外国文書をつかさどり、公家・武家
を初め諸寺諸宗の法度の制定に参与し、「黒衣の宰相」と呼ばれた。円照本光
国師の号を賜う。諸外国との往復外交文書を集めた「異国日記」及び「本光国
師日記」がある。(1569―1633)
- すえ‐はるかた【陶晴賢】
室町末期の武将。大内義隆の家臣。義隆を弑(しい)し、大友宗麟の弟晴英
を主とした。毛利元就に厳島に攻められ敗死。(1521―1555)
- た
- たきがわ‐かずます【滝川一益】
安土桃山時代の武将。近江の人。信長に仕え伊勢長島城主、ついで上野厩橋に
居る。のち秀吉に仕える。剃髪して不干と号し、越前で没。(1525―1586)
- たけだ‐しんげん【武田信玄】
戦国時代の武将。信虎の長子。名は晴信、信玄は法名。一五四一年(天文一
○)父の跡を継いで甲斐国に主となり、民政・領国開発に力を入れ、また近傍
諸国を略し、上杉謙信と川中島で戦うこと数回。織田信長と雌雄を決しようと
して三河の野田城攻囲中に病を得、陣没。(1521―1573)
- たけだ‐かつより【武田勝頼】
戦国・安土時代の武将。信玄の子。父の没後家を嗣ぎ、性勇猛であったが、
思慮に乏しく、長篠の敗戦後は勢い振わず、織田・徳川の軍に撃破され、天
目山の麓で自刃。(1546―1582)
- たちばな‐むねしげ【立花宗茂】
安土桃山時代の武将。筑後柳川城主。豊臣秀吉に仕え、文禄・慶長の役に
勇名をはせた。関ケ原戦後家康に降る。(1569―1642)
- だて‐まさむね【伊達政宗】
安土桃山時代・江戸初期の武将。輝宗の子。眇(すがめ)のため独眼竜と称。
父の跡を継ぎ覇を奥羽にとなえたが、一五九○年(天正一八)豊臣秀吉に服属、
文禄の役に従った。後、関ヶ原の戦及び大坂の陣には徳川家康のために功を
たて仙台六二万石を領した。また、その臣支倉(はせくら)常長を海外に派遣。
(1567―1636)
- つつい‐じゅんけい【筒井順慶】
戦国末期の武将。大和生駒郡筒井城主。一五七一年(元亀二)松永久秀が織田
信長に叛した時、明智光秀と共に久秀を滅ぼし、郡山城に拠って大和全国を管
した。本能寺の変ののち、一時光秀に与したが、形勢の変化に態度を変え、八
二年(天正一○)山崎の合戦では豊臣秀吉に通じた。(1549―1584)
- てんかい【天海】
江戸初期の天台宗の僧。会津の人。比叡山で天台を、南都で諸宗を学ぶ。徳川
家康の知遇を受け、内外の政務に参画、川越喜多院および日光山を授けらる。
家康の死後、権現号の勅許を乞い日光山に改葬し、輪王寺を建立。秀忠・家光
にも信任され、寛永寺を開山。一六三七〜四八年(寛永一四〜慶安一)大蔵経を
刊行、天海版と称せられる。諡号は慈眼(じげん)大師。(1536―1643)
#秀吉に敗れた後、死んだとされる明智光秀であるという説もある。
- とうどう‐たかとら【藤堂高虎】
安土桃山時代の武将。近江の人。薙髪して白雲と号。浅井長政・羽柴秀長
およびその子秀保に仕え、後に高野山に入ったが、秀吉に召されて宇和島城主
となり、文禄の役に従う。秀吉没後は徳川氏に属し、関ヶ原・大坂の役の功に
より伊勢・伊賀三二万石に封。(1556―1630)
- とくがわ‐いえやす【徳川家康】
徳川初代将軍。松平広忠の長子。今川義元・織田信長と結び、ついで豊臣
秀吉と和し、一五九○年(天正一八)関八州に封ぜられて江戸城に入り、秀吉の
没後伏見城にあって執政。一六○○年(慶長五)関ヶ原の戦で石田三成らを破り、
○三年征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開いた。○五年将軍職を秀忠に譲
り大御所と呼ばれた。○七年駿府に隠居後も大事は自ら決し、大坂の陣で豊臣
氏を滅ぼし、幕府二六○余年の基礎を確立。東照大権現の諡号を下賜。(1542―
1616)
- とよとみ‐ひでつぐ【豊臣秀次】
安土桃山時代の武将。三好一路の子。母は秀吉の姉。一五九一年(天正一九)
秀吉の養子、ついで関白。秀頼の出生後、秀吉と不和を生じ、高野山に幽せ
られ、自殺を命ぜられた。世に殺生関白という。(1568―1595)
- とよとみ‐ひでよし【豊臣秀吉】
戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名日
吉丸。初名藤吉郎。一五歳で松下元綱の下男、後に織田信長に仕え、のち羽柴
秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・
奥羽を平定して天下を統一。この間、一五八五年(天正一三)関白、翌年豊臣の
姓を賜わり太政大臣、九一年関白を養子秀次に譲って太閤と称。明を征服しよ
うとして文禄・慶長の役を起し朝鮮に出兵、戦半ばで病没。(1536―1598)
- とよとみ‐ひでより【豊臣秀頼】
安土桃山時代の武将。秀吉の子。六歳で家を継いだが、関ヶ原の戦後、摂
津・河内・和泉六○余万石の一大名におとされた。徳川秀忠の女千姫を娶る。
大坂夏の陣で、城陥って母淀君と共に自刃。(1593―1615)
- とりい‐もとただ【鳥居元忠】
安土桃山時代の武将。通称彦右衛門。徳川家康に仕えて、姉川・三方ヶ原・
長篠などの戦に功があった。家康の上杉景勝征討に当り、伏見城に留守し、
石田方に囲まれて自刃。(1539―1600)
- な
- なおえ‐かねつぐ【直江兼続】
戦国時代の武将。もと樋口氏。山城守。上杉輝虎(謙信)・景勝に仕え、名
家宰として知られる。詩文をよくし、「文選(もんぜん)」六一巻を印行、わが
国における銅活字による開版の初めで、直江版または要法寺版という。(1560―
1619)
- にわ‐ながひで【丹羽長秀】
安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、佐和山城主、のち小浜城主となる。
本能寺の変後、豊臣秀吉を助け、近江坂本に居り、賤ヶ岳の戦に功を立て、
越前北ノ庄を居城とした。(1535―1585)
- は
- はしば‐ひでなが【羽柴秀長】
安土桃山時代の武将。秀吉の異父弟。秀吉に従って歴戦し、よくこれを補
佐した。(1541―1591)
- はちすか‐いえまさ【蜂須賀家政】
安土桃山時代の武将。父小六と共に織田信長に仕え羽柴秀吉に属した。明
智光秀との合戦、根来(ねごろ)一揆征伐、文禄・慶長の役に功あり、阿波国を
与えられ徳島城に住。関ヶ原の合戦には出陣せず、子至鎮が東軍に属した。致
仕(ちし)後、蓬庵と号。(1558―1638)
- はちすか‐ころく【蜂須賀小六】
安土桃山時代の武将。名は正勝。小六は幼名。修理大夫。羽柴秀吉に従っ
て武功を重ね、四国征伐などに参加し、その信任が厚かった。もと盗賊の首領
であったとするのは誤りで、尾張の土豪の出であったという。(1526―1586)
- ふくしま‐まさのり【福島正則】
安土桃山時代の武将。幼名は市松。尾張の人。幼少より豊臣秀吉に仕え、
賤ヶ岳七本槍の一。後に尾張清洲城主。関ヶ原の戦には徳川方に味方し、安芸・
備後に五○万石を与えられたが、広島城修築の罪を問われ、信濃川中島に移
された。(1561―1624)
- ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】
戦国時代の武将。早雲の長子。小田原城主。扇谷(おうぎがやつ)上杉氏を
攻めて武蔵・両総に勢を張った。箱根早雲寺に葬る。(1486―1541)
- ほうじょう‐うじなお【北条氏直】
安土桃山時代の武将。氏政の子。豊臣秀吉に小田原城を包囲されて降伏。
徳川家康の女婿の故を以て助命、高野山に放たれた。(1562―1591)
- ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】
安土桃山時代の武将。氏康の長子。下総・駿河・常陸を攻略。豊臣秀吉に
小田原城を攻められ、自刃。(1538―1590)
- ほうじょう‐うじやす【北条氏康】
戦国時代の武将。氏綱の長子。古河城を陥れて古河公方足利晴氏を相模に
移し、上杉謙信と戦って北武蔵に勢力を伸ばす。民政にも力を注ぎ北条氏の全
盛期を築く。(1515―1571)
- ほうじょう‐そううん【北条早雲】
戦国時代の武将。伊勢新九郎長氏(または氏茂)と称し、剃髪して宗瑞。早
雲庵と号。出自は明らかでないが、はじめ今川氏に拠って駿河におり、堀越公
方足利政知を滅ぼして伊豆を併せ、後、相模を奪って小田原城に入り、後北条
(ごほうじよう)氏五代の基を開いた。(1432―1519)
- ほそかわ‐ただおき【細川忠興】
安土桃山時代の武将。幽斎の子。織田信長に仕え、丹後宮津城主。外舅明
智光秀が信長を害した時、その招きに応ぜず、豊臣秀吉に従って軍功を積み、
関ヶ原の戦には徳川氏に力を致し、豊前・豊後三○万石に封。一六二○年(元和
六)剃髪して三斎宗立と号。和歌・典故に通じ、また茶の湯を好んだ。(1563―
1645)
- ほそかわ‐ゆうさい【細川幽斎】
安土桃山時代の武将・歌人。三淵晴員の子。本名、藤孝。忠興の父。剃髪して
玄旨幽斎と号し、信長・秀吉・家康三代に仕えて重用された。三条西実枝(さね
き)に古今(こきん)伝授を受け、近世歌学の祖と称された。家集「衆妙集」。(1
534―1610)
- ほんだ‐ただかつ【本多忠勝】
徳川家康四天王の一。通称、平八郎。武勇の誉れ高く伊勢国桑名城主となっ
た。(1548―1610)
- ほんだ‐まさのぶ【本多正信】
徳川家康の重臣。三河の人。佐渡守。機密に参与、乱世には軍謀にあずか
り、治世には国政をつかさどり、巧みに諷諫した。「本佐録」はその著とされ
るが不明。(1538―1616)
- ま
- まえだ‐げんい【前田玄以】
安土桃山時代の武将。織田信忠・豊臣秀吉に仕え、京都奉行・寺社奉行。
秀吉五奉行の一。丹波亀山城主。(1539―1602)
- まえだ‐としいえ【前田利家】
安土桃山時代の武将。加賀藩の祖。尾張の出身。織田信長・豊臣秀吉に仕
え、秀吉没後は五大老の一人として秀頼を助けた。(1538―1599)
- まつなが‐ひさひで【松永久秀】
室町末期の武将。三好長慶の家臣。弾正少弼。大和の信貴山(しぎさん)に
城を築き、主家を滅ぼし、さらに足利義輝を自殺させた。織田信長入京の際降
服したが、のち信貴山に叛いて敗死。(1510―1577)
- みやもと‐むさし【宮本武蔵】
江戸初期の剣客。名は政名。二天と号。播磨または美作生れという。武道
修行のため諸国を遍歴して二刀流を案出し、二天流剣法の祖。水墨画もよくし
た。佐々木巌流との試合が名高い。著「五輪書」。(1584?―1645)
- みよし‐ながよし【三好長慶】
戦国時代の武将。管領細川晴元の臣。一五四九年(天文一八)晴元らと戦って勝
ち、五二年入京、将軍足利義輝をいただいて権勢をふるった。晩年はその臣松
永久秀に圧倒された。(1522―1564)
- もうり‐てるもと【毛利輝元】
安土桃山時代の武将。元就の孫。隆元の子。初め織田信長に抗したが、豊
臣秀吉の中国攻めに戦況不利となり、本能寺の変後秀吉と和睦し、後に五大老
の一。関ヶ原の戦には豊臣方の主将となり、周防・長門二国に減封された。薙
髪して宗瑞と称。(1553―1625)
- もうり‐もとなり【毛利元就】
戦国時代の武将。安芸の出身。陶晴賢(すえはるかた)・大内義長・尼子義
久らを滅ぼし、山陰・山陽一○ヵ国を領。また、歌をよくし、「春霞集」があ
る。(1497―1571)
- や
- やぎゅう‐じゅうべえ【柳生十兵衛】
江戸初期の剣客。宗矩の子。名は三厳(みつよし)。新陰(しんかげ)流を修
め、諸国を巡歴。徳川家光の寵を受けた。後、大和国正木坂で弟子一万三千人
に教え、柳生流と称。(1607―1650)
- やぎゅう‐むねのり【柳生宗矩】
江戸初期の剣客。新陰流の達人。宗厳の子。但馬守。関ヶ原の戦に徳川家
康に従い、後、大和国柳生荘で二千石、大和で一万二千五百石。(1571―1646)
- やぎゅう‐むねよし【柳生宗厳】
戦国時代の土豪。新陰流剣道の祖。石舟斎と号。大和国柳生荘に住。筒井
順慶・松永久秀らに属し、のち徳川氏に仕えた。(1527―1606)
- やまなか‐しかのすけ【山中鹿之助】
戦国時代の武将。名は幸盛。出雲の人。尼子義久に仕え、勇名あり。尼子
十勇士の一。一五六六年(永禄九)義久が毛利氏に降ったので、尼子勝久を擁し
て戦ったが、後、播磨上月城で毛利方に攻められ、捕えられて斬。(――1578?)
- やまもと‐かんすけ【山本勘助】
戦国時代の武将・兵法家。三河の人。独眼で隻脚。「甲陽軍鑑」によると、
軍略に長じ、武田信玄の参謀をつとめ、川中島の戦に戦死したというが、事
跡・生没とも詳らかでない。
- ら
- わ
- わきさか‐やすはる【脇坂安治】
安土桃山時代の武将。通称、甚内。近江の人。賤ヶ岳七本槍の一。豊臣秀
吉に仕えて小田原征伐や文禄・慶長の役に功を立てた。関ヶ原の戦に豊臣方か
ら徳川方へ走り、伊予国大洲五万三千石に封。(1554―1626)
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